火あぶりにされたサンタクロース再び

クリスマスイブ当日です。Twitterのタイムラインもやはりサンタクロース(もしくはFather Cristmas)情報で賑やかになってくるもので、今年もやってくれましたNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)のサンタ追跡サイト!お疲れ様です!

www.noradsanta.org

 

そして一方、先週書いた神話学者さんのツイートを引っ張ってきて書いたブログに使ったクロード・レヴィ=ストロースの『火あぶりにされたサンタクロース』を使った記事も出てきていた模様。

gendai.ismedia.jp

とはいえ、ここではサンタクロースが火あぶりにされたことの意味(サトゥルヌス祭の意図しない再現になっていたこと)は特に深堀りはされておらず、キリスト教右派の行動がとか、神話の構造がどうとかよりも歴史(「サンタの衣装の色が決まったのは、コカ・コーラ社のためではないこと」とか)の方が大事っぽいのでオチがどうなるかと思ったら

サンタ火あぶり事件を私は毎年講義で引き合いに出すが、いつもそれに合わせて私が学生に主張するのは、誰かにとって特別な信仰の日を尊重するときは、別の誰かにとっての受け止め方も尊重すべきだということだ。

レヴィ=ストロースは「どうしてそれが大事なのかはよく分からないけど大事なんだな」で終わらせることをしない、どちらかというと別の誰かと自らの間にある共通のものを探し出そうとする人なのでこのまとめ方は、なんだか収まりが悪いように思います。「学問は心を自由にする」、レヴィ=ストロースの、一般的なものの見方に思いっきりどんでん返しかましているやり方を見ると確かにそうだと思います。

レヴィ=ストロースの『火あぶりにされたサンタクロース』での語り口は以下のような調子となっております。

このようにざっと概観するだけで、過去の《遺物》や《残存物》と呼んで済ませる安直な説明が、この手の問題についてはどれだけ当てにならないかがわかる。多彩な民族的な慣習の中で連綿と続く樹木崇拝が先史時代になければ、近代ヨーロッパがクリスマスツリーを《発明する》こともなかっただろう。

…いや、あっさり先史時代まで遡ってしまうようなやり方では歴史の話にならないので、ここは敢えて触れないのが正解だったのかもしれませんね。